4/6 ゆうか4@水道橋”東京倶楽部”

 

ろくな演奏もできないくせに大人をからかったりするのはいい加減やめようと思った。

サックスの臼庭さんが1セットだけ見て帰ってった。

東大ジャズ研の先輩の弾くんが飛び入りで5曲演奏してった。

ほかのメンバーは、あれはまだまだだね、みたいな言い方してたけど、

おれはドラマーが入れ替わって新鮮で楽しかったし、弾くんのたたき方は好きだった。

 

ライブの途中で話題にのぼったこと。

近・現代科学史もろくに知らない人が哲学や文化を語れるだろうか?

ニュートン的科学史観から始まった4世紀にも渡る一連の流れは、

「哲学」なんて抽象的な学問以上に「哲学」を物語ってるような気がする。

なぜならそこには真理(絶対的多数が認める事実・推論、の意)があるから。

「哲学」という学問には個人的真理があっても絶対的真理がない。

でもそれは仕方のないことだと思う、「科学」というやつは原則として、

誰もが認めるような常識しか語りえないのだから。

だからこそ、科学的方法論や史観は、「哲学」以上に「常識」であるべきなのだと思う。

 

ただ一つの難点は、数式を筆頭とする多くの論理言語が、

一般人にとって非常に読解しづらいものであることだ。

17世紀の古典力学でさえその数式の複雑さと難解さには誰もが一度は挫折するものだ。

しかし、それは決して無味乾燥な記号の羅列にすぎぬわけではない。

多くの現代人が知りもしないこの世界の性質と、

その新しいモノの見方の「枠組み」を与えてくれるのだ。

その古典力学がどのように発展し、人類の文明や世界観にどれほどの影響を与え、

それらの常識を根本から打ち破ることになる20世紀の量子論・一般相対論の「枠組み」が

どのように与えられるのかすら多くの文学者たちが知りもしないということは、非常に嘆かわしいことだと思う。

もう何がいいたいのかわからないから今日はここまで。

 

 

 

演奏曲目

 

[1st set]

Esta Melodia

Zanga Zangada

Berimbau

A Menina Danca

Samba de Uma Nota So

 

[2nd set]

You’d Be So Nice to Come Home to

Corcovado

Prelude to a Kiss

Agua de Beber

Desafinado

 

[3rd set]

Sem Ilusao

Wave

Bewitched, Bothered and Bewildered

Vem p’ra roda

Samba de Comeco

 

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若井優也 について

jazz piano, mathematics, igo, shogi.
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4/6 ゆうか4@水道橋”東京倶楽部” への3件のフィードバック

  1. b より:

    >「哲学」という学問には個人的真理があっても絶対的真理がない。
    そんなオナニーだから面白いんじゃね?人のオナニー見てわがオナニー直せとか。
     

  2. b より:

    名前出てないや。ぼくでーす

  3. 優也 より:

    んー、なんていえばいいんだろう。哲学には「責任感がない」って言えばいいのかな。まぁぼくは科学みたいに "絶対的真理" を求めるスタイルのほうが好きなんですよ。

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